三条大橋のあのボロさが大好きなんだけど、そのままじゃダメ?
三条大橋のヒノキ製の欄干が40年以上経って、ボロボロに
三条大橋といえば、東海道五十三次の玄関口という手前、綺麗にしていた方がよいんでしょうけど、私はこのボロさが大好きです。
安全性の問題ですね、はい、よく分かっておりますとも。
ボロボロをどうにかするにしても、ピッカピカの欄干にすると、風情がなくなって、とても残念な雰囲気になるのではという懸念があります。素材をよく検討していただきたいです。
リンク先の京都新聞記事によると、欄干を換えて40年あまり、シロアリや経年のためボロボロになって汚い、と苦情が出ているらしいのです。橋の本体は1950年にできたということですから、これもかなり年数が経っていますね。
橋の上の飾り(擬宝珠=ぎぼし)に池田屋事件の刀傷があるとして、歴史的な価値のあるものを載せている欄干でもありますから次の世代にも引き継がなければなりません。
三条大橋の東詰(詰・・・この言い方京都だけかな?)にある高山彦九郎像や、西詰の、納涼床ありスターバックス。なんとなく三条大橋とセットで思い出す方も少なくないと思います。デートや友達の待ち合わせに使った人もいますよね。
私にとって、三条大橋は思い出の橋です。
修学旅行では、いろは旅館に泊まり、夜の買い物で三条大橋を渡って、三条名店街のアーケードに買い物へ行きました。京津線が路上にありましたから、そのローカルな雰囲気も一緒に思い出します。
単純に計算すれば、あの修学旅行は高校一年生でしたけど、ふうむ、・・・まだ欄干を取り換えてそんなに時間が経ってなかったということですね。
私が生きた年数、まあ四十数年は短いとは言えないですが、この時間でここまで朽ちるものなのだなと思います。少しずつ修繕しながら今に至るようですから、だいぶ前から傷んできていたということですね。
京都では創業100年程度の会社では老舗とは呼んでもらえません。橋も同じように、観光や、記憶の財産になるものですから、もっと長く使えるものを最初から計画できなかったのでしょうか。
ヒノキの欄干にしても、塗料をもっと長持ちさせるものにできなかったのか、当時の技術では難しかったのか、最初から一定の周期で換えることを前提にしていたのか、分かりませんけど、今となって、3~4億円掛かるのと、改修の時期が未定、とされているのを見ると、結構いいかげんなものなのだな、と感じます。
これは宇治橋なのですが、
宇治橋が架け替えをしたときに、歩道も拡張されて歩きやすくなりましたが、ピカピカすぎて、早く適当に古びて景色になじんでくれないかなと思ったものです。
平等院もボロボロが好きだったのですが、改修前に「平安時代は鮮やかな色だった」と言われれば、私の感覚は間違ったわびさびなんだろうな、と理屈では思います。
でも、どんなに理屈では分かっていても、新しくなってからは、なんとなく行く気になれずにいます。